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| コーヒーに関する記述でバイブルと言われるほどに賞賛される貴重な書物として『All About Coffee』という本があります。 この著者は米国のウイリアム・H・ユーカース(1873-1954)で、茶と珈琲の取引専門誌『Tea & Coffee Trade Journal」の名編集長といわれてます。 そして多くのコーヒーファンが珈琲の歴史を紐解く場合には、この著書から辿ります。 同様に私も『All About Coffee』の記事からスタートして、これから≪コーヒーの伝播を追って日本と世界の歴史を訪ねる≫旅に出ることにしました。(2006/01/20) |
| コーヒーの伝播 | 年代 | 世界の歴史 | 日本の歴史 |
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コーヒーノキが自生していた発祥地の古代エチオピアはシバの女王で有名な「シバ王国」で、その当時から地中海諸国と交易があったが、その交易品の中にはコーヒーの果実は含まれていない。 その事実から、まだこの時代はコーヒーの魅力は伝わっていないことがわかる。 |
3000年 紀元前900年 紀元前200年 |
エジプト文明など世界4大文明が起こる。 トロイ戦争 エフェソス都市国家も誕生する。 ・イエメンで生まれたシバの女王「マケダ」が、現在のエチオピアとイエメン辺りを統治した。(シバ王国) ・この頃には既に地中海や紅海を挟んで航海交易が行なわれ、エジプト、メソポタミア、アフリカ、アラビア半島、インダス間での行き来があった。 |
縄文時代も三内丸山で最盛期を迎える。 弥生時代早期です。 北九州で見つかった弥生式土器が2003年5月国立歴史民族博物館の発表でこの時代のモノと判明しました。 ・始皇帝の方士「除福」が日本列島到達。 ・中国南部からも呉の難民が日本列島を目指し船で北上し、倭人となって住み着く ・吉野ヶ里の集落が形成される。 ・稲作が東日本でも始まる。 |
コーヒーノキの果実がいつ頃から食料や飲料として用いられたかはわかっていない。 ・中央アフリカで自生したブン(コーヒーノキ)の果実がジャコウネコ科のコピ・アルクなどの小動物によって食され、その排泄物として種子が近隣の高地に伝播し、アビシニアン高原でも自生のブン(コーヒーノキ)が見つかる。 サクランボのような美味しそうな赤い果実ですから、最初は果物的に食べられたと考えます。 ところが、この果実を食べると何となく爽やかな気分になり、元気が出てくることを知って、もう少し他の利用法を考えた。 それが、 ・「ブン」の果実を丸ごと利用する方法として、果肉と種ごとすりつぶして油を加えてボール状にした団子を元気が出て疲れが取れる携帯食として食べて始めた。 この地域では、雑食の時代が長く続いたのです。 その他にも ・「ブン」の精神を高揚させる効果を知って、果肉を食べるだけでなく、発酵させた果肉からワインを造ったり、乾燥させた果実を煮沸して飲んだ。 |
紀元1年 100年 200年 300年 400年 517年 600年 700年 800年ごろ 900年ごろ 12世紀末 |
キリスト誕生 ・エチオピアのアクスム王国がイエメンから撤退して、アラビア半島南端はササン朝ペルシアの支配地域となる。 イスラムの偉大な医者であり天文学者であったラーゼス(852頃〜932頃)が医学書『アル=ハーウィー』のなかでブンから得る果実とその飲料についての効用を述べてる。 ・アル・シャージリーが北アフリカで誕生 |
・倭の奴国王が後漢に朝貢する。 ・北方騎馬民族が朝鮮半島に住み着き、更には、その一部の豪族が列島にも渡来。 ・倭国大乱。卑弥呼が王となる。 ・物部氏が瀬戸内海を移動して大和に住み着く。 ・日矛族一団が朝鮮から金属精錬技術を持って渡来して播磨に住み着く。 大和政権がぐらつき始める。 秦一族が渡来して大陸文化を伝える。 聖徳太子・推古天皇の時代 ・大化の改新 ・日本書紀の編纂開始 空海・最澄が遣唐使となって唐に渡る。 |
| 1258年 1299年 |
アル・シャージリーがエジプトの砂漠を横断中に死亡 その後に彼に因むスーフィー派シャージリーア教団誕生。この教団がカフア(白ワイン)を飲用して礼拝を行う。 オスマン帝国誕生 |
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アデン在住のザブハーニーがアフリカの東部(エチオピア)に出向き、礼拝に役立つ眠気覚ましの飲み物を知る。 ただし アル・シャジーリー著「コーヒーの正当性のために」 ※南アラビアのアデンに住んでいたザブハーニーが東アフリカで眠気を払う飲み物を知るが、これはカートだったと別の記録で補足してる。(しかし、それはブンの葉だったとも考えられる。) ・ブン(コーヒーノキ)の粘液質の果肉が付いた果皮を乾燥させて煮出した飲み物(キシル)を考え出した。 ・スーフィーと呼ばれるイスラム神秘主義者の僧侶たちが『ブン」の効用に注目して、カファとして飲用を始める。 メッカやカイロでもスーフィー派が礼拝時に飲用して広まる。 |
1300年 1400年 1453年 1460年ごろ 15世紀後半 |
オスマントルコ帝国がビザンチン帝国を滅ぼし、コンスタンティノーブルをイスタンブールとする。 イエメンでは通常はコーヒーの生豆は輸出されて、外殻皮を使ったキシルが最も人気のある飲み物とされてる。 |
| ≪参考文献≫ |
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| ≪コーヒー豆発祥の地アビシニアン高原≫ コーヒー豆が発見された伝説としてよく知られてるのは「羊飼いの牧童」の話があります。 ただ、この伝説は西欧でコーヒーが飲まれ始めた頃に面白おかしく創られ言い伝えられたものです。 その一つにキリスト教マロン派教徒で、ローマで東洋言語の教授となったナイロンが「カフエまたはカフェと呼ばれたる健康によきものについての論説」(1671)に先駆的書物としてこの伝説が記されてたようです。 そして多くのコーヒー関連書籍で指摘されてるように、コーヒーノキの発祥地はアビシニア高原だったのでしょうか。 実はこれも正確には?なのです。 アフリカ中央部で育った自生のコーヒーノキがつけた果実をジャコウネコ科のコピ・アルクのような小動物が食べ、排泄した種子が高地に撒き散らされて広まり、アビシニアン高原にも自生し始めたとも考えられます。 アフリカ大陸では19世紀になるまでほとんどの民族は西欧社会と隔離されていました。 唯一エチオピア(旧アビシニア)だけがシバ王国が栄えた紀元前からエジプトのアラブ社会やアラビアのイスラム社会と交易でつながっていたことから、コーヒーノキの発祥地とされたのですね。 |
イスラムの聖職者が飲用した「ブン」と呼ばれてたコーヒーの木がアビシニア高原だけでなく現在のイエメンでも見つかります。 アラビア半島に位置するイエメン地域は多くの時代がイスラム国家の領土であり、エチオピア(アビシニア高原)は古代シバ王国よりキリスト教国家が続いています。ただ唯一、シバ王国の時代にはイエメン地域も領土としてました。 この時代のアフリカ及びシバ王国の食糧事情は雑食でした。パンを作る小麦はこの地域にはなかったのです。 となると、現在でもエチオピアのガラ族に伝わるコーヒーボールの携帯食料が貴重品であり、そのコーヒーノキがイエメンの栽培適切地にて植林された、もしくは自然伝播したと考えられます。 だとするならば、エチオピアのコーヒーノキがアラビア半島に渡ったのは、エチオピアの古代国家であった≪シバの女王が統治した国≫が栄えたBC10世紀ごろからアラビア半島から撤退したAC6世紀までことではないかと最初は考えましたが、???です。 その後の調べで、スーニー派の聖職者がカートの代わりとなるブンの葉、つまり今でいうコーヒーの木の葉を東アフリカで見つけ持ち帰ったことからイエメンでもコーヒーの木が植えられたと考えています。 |
| イエメンの聖職者たちは、ブンの葉だけでなく、果肉は少ないが美味しそうな実も乾燥させて煮出すと同じような作用があることを知りました。その飲用が現在でもギシルとして残されているのでしょう。そのギシルはイエメンで大人気の飲み物になって、私たちが知る茶色いコーヒーより普及してることを考えると、コーヒー飲用の発見はこの地域ではなかったと結論付けていいと思います。 つまり<アラブの聖職者が初めてコーヒーを飲み始めた>はイスラム商人が作り出した宣伝用のコピーなんです。 アラブの聖職者が飲んだ飲み物は、コーヒーではなくギシルだったのです。 では、どこの地域の人々が<煎ったコーヒー豆をすり潰してお湯でコーヒーを初めて飲用したか> それは、間違いなくエチオピアに住む人だったと思います。 エチオピアでのコーヒーの飲用は、現在でも昔からの方法で大切なお客様を接待するセレモニーとして残ってます。 その際に使われるコーヒー豆を煎るブナ・アクシャと呼ばれる陶板やジャバナと呼ばれる陶器を使います。 そして、そのような壷などの土器を専門に製作する女性の職能集団がアリ族の中には昔から存在しているのを知りました。 ただし現在では、アリ族では日常「コーヒーの葉を煎じて飲む」習慣をもち、コーヒーセレモニーの道具は商品として販売するだけのようです。地方に住む貧しい部族は、土器だけでなくコーヒーの実も換金商品として売り、残った葉を飲用してるのです。 |
| コーヒーの伝播 | 年代 | 世界の歴史 | 日本の歴史 |
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| この辺りの時代に、東アフリカの一部部族の間でコーヒー豆を煎って粉にし、お湯で煮出す飲用を行い始めたのです。 それがイブリック式飲用のトルココーヒーとしてイスラムの世界に徐々に広まっていったのでしょう。 エジプトのカイロにコーヒー伝わる。 シリアのダマスカスにコーヒー伝わる。 イスタンブールに世界初の本格的コーヒーハウスが誕生 イスタンブールに600件もの珈琲ハウスがあった。 コーヒーがチャコールの一種でコーランの掟に叛くと禁止令が出され。る ≪欧州でコーヒーに関する最も古い報告書≫ ドイツの医者であり植物学者でもあったレーオンハルト・ラウヴォルフが1573年から3年間かけてオリエントを旅行した時の報告書の中でコーヒーに関する初めての記述を1582年に行った。 |
1500年 1511年 1530年 1544年 1554年 1558 1570年ごろ 1573-76 1582 1584 |
トルコ・オスマン帝国の最盛期 スペインに欧州初のカフェインとして、チョコレートがマヤ族高官によってフェリペ王子への贈り物としてもたらされた。 ≪スペインがマニラを建設≫1571年 スペインが1565年にフィリピンを侵略開始して1571年にマニラを建設 1580年スペイン・ポルトガル併合 1584年:スペインのフェリペ2世が少年使節団を謁見 1585年:ローマ教皇が少年使節団を謁見 |
≪室町幕府の滅亡≫1573年 織田信長が足利義昭を京都から追放した。 6月≪本能寺の変≫で信長死亡 ≪日本の遣欧少年使節団派遣≫ スペイン商船が初めて平戸に来航 |
アヘメッド一世が「コーヒーは炭と呼ばねばならぬほど強度に煎られてない」とコーヒー炭論争に終止符を打った。 |
1600年 17世紀初頭 |
| スペイン商船が平戸に来航する前に、1549年にポルトガル船が来航してザビエルが布教を始めてるんですね。 ザビエルはスペイン北部の出身でパリで学びイエズス会を創設して、1540年に教皇パウルス三世に認可されるとインドや東インド諸島で布教し、更に鹿児島から日本に入り布教活動をするなどの功績が認められて聖者になってます。 そんな状況でも、当時のヨーロッパはまだコーヒーが飲まれていないわけで、20年後の1600年まで待たれます。 そして更に、日本にコーヒーが伝わるのはおおよそ100年後なんですね。 さて、ここで気になるのが≪天正遣欧使節団≫ この≪天正遣欧使節団≫を派遣したのは、当時のキリシタン大名であった肥前(長崎県)の大村純忠・豊後(大分県)の大友善鎮・島原(長崎県)の有馬晴信の3大名です。 遣欧使として選ばれたのは九州の片田舎に住む13歳前後の4人の少年(伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルチノ)でした。 その目的はスペイン国王とローマ教皇グレゴリウス13世に謁見させ、日本人がキリスト教に対して熱意を持ってることを知らせ援助を得ること、そして反対にキリスト教国の栄光と偉大さを見聞して持ち帰り知らしめることだと考えられます。 まぁ、当初はポルトガルやスペインとの貿易が目的でキリシタンになったのが本音のところだったようですが、ミイラ取りがミイラになったってことのようです。^^ |