
★パリのカフェ巡りへ・その2 2002/05/21-23
- フランスのカフェ変遷を辿ると、<その1>で紹介したように現在のスタイルのようなフランスカフェの最古は、旧コメディー・フランセーズ(現オデオン座・写真右)側に位置した「プロコープ」であると言われてる。
そのコメディー・フランセーズが1770年にパレ・ロワイヤル広場に移ると、お客の移動と共に人気店の順位も変わり、パレ・ロワイヤル広場で開店した「カフェ・ド・ラ・レジャンス」に俳優達などが集った。 フランス革命の前になると特殊な役割で「カフェ・ド・フォア」が重要な店としても賑わう。王制を打倒することによってフランス精神の再生を望む革命的な知識人の溜まり場となったのだ。
その後も、19世紀の終わりにはモンマルトルの丘に多くの芸術家がたむろするカフェがオープンし、20世紀初頭には南のモンパルナスが文士や芸術家の住む町となり、次々と新しいカフェが開店し繁盛するようになったりして広がりをみせていくのだった。
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- 今日は、パリ探索2日目。 フランスに着いて6日目の私達は、疲れを感じさせる様子も見せず、朝早くホテルでいつものように朝食を済まし、その十数分後には地下鉄に乗ってパリ市東部のバスティーユ広場に向かった。そこからのんびり歩いてセーヌ川を渡り、5区に出てムフタール通りのマルシェ(朝市)を見学し、更にリュクサンブール公園を横切り、モンパルナスに出て老舗カフェ「ラ・クローズ・リ・デラ」「ル・セレクト」「ラ・ロトンド」を訪ねた。
その後、北上してセーヌ川を渡り、オペラ座に向かう大通りを横斜めに通る日本食屋が連なるサンタンヌ通りへ向かって、手打ちうどんが食べられる「国虎屋」で昼食を取った後、パリの老舗自家焙煎店「ヴェルレ」に立寄ったのだ。(よーく歩いたもんだ^^;)
その報告として、前半を<その2>、後半を<その3>としてレポートしてみましょう。
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マルシェ隣接のカフェ
- 朝早くからカフェ巡りに明け暮れても芸がないと考え、今日の行動予定は、最初にムフタール通りにあるマルシェを訪れたのだ。 著名な観光地だけでなく、パリの庶民的な雰囲気を味わってみたいと思って事前に調べておいた常設マルシェ(朝市)である。
パリでは、ここのような常設のマルシェと決められた曜日にしか開設しない露天店舗が集まるマルシェがあるようだった。やっと見つけたムフタール通りは、石畳の坂道で道幅3mくらいで、長さは5−600mって感じだったろうか。 昨日まで歩きまわった処と違い、パリの下町と言う雰囲気(別途記述)で情緒タップリであった。ムフタール通りは左岸の食の中心地になってる通りだそうで、営業時間は火曜から土曜日が朝9:00〜13:00、お昼休みを挟んで16:00〜19:00まで。日曜が13:00までになってる。店舗は、露天の果物屋が数店、あとは常設で魚屋、肉屋、パン屋などの生鮮食品店が連なってる。 我ら夫婦も旅行者であることを忘れるかのようにキョロキョロと店に立ち寄り、暫しなんとも落ち付いた雰囲気を感じさせてもらった。
坂を下ったところでマルシェは終わり、小さな広場に出た。 
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- 右写真のように、広場の中心には円形に小さな噴水と花壇があり、その周りが車道になってる。そして広場の四つ角を見るとカフェが2店あり、マルシェで買物をした後にゆっくりお茶でも楽しんでいるのだろうか、たくさんのお客さんが座ってた。

写真を撮り忘れたが、北になる坂上のマルシェの入口にも、もっと小さい広場があり、テラス席を設置したカフェがあった。そこの店では、地元の老婦人が一人でゆっくりとコーヒーを飲んでる姿を見つけてもいた。
帰国して今に思えば、そんな庶民的なカフェも立寄って、どんな様子でパリの人達がコーヒータイムを楽しんでいたのか見てくれば良かったと残念でしかたがない。
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モンパルナスの老舗カフェ
- リュクサンブール公園の一番南の出口を出たところが、カミーユ・ジュリアン広場になる。その交差店を西に伸びる通りがモンパル
ナス大通り。この大通りと平行して一本南の通りをエドガー・キネ通りといい、毎週日曜日にはモンパルナスをホームタウンとするアーティストたちが集まり、野外ギャラリーを開いているようだ。油絵やリトグラフ、彫刻などの個性豊かな作品がそれぞれのテントで展示販売されてるとのこと。残念ながら私達が訪れたのは火曜日であったので静かだった。このエドガー・キネ通りに面して南に広がるのが、パリで2番目に大きなモンパルナス墓地。入口の事務所では100人以上もの代表的な有名人が眠るお墓の場所が記されてる地図をくれる。サルトルとボーヴォワールやモーパッサンなどの墓があるようだ。
- そのモンパルナス大通りの一番端の右側交差点角に「クロズリ・デ・リラ」があった。この店は、19世紀後半から20世紀初頭に印象派の詩人達が多く集まり、島崎藤村もパリ滞在中には度々立寄ったそうである。ついでに日本人関連で書くならば、留学中の辻邦生を訪ねて北杜夫と落ち合った店であり、向かいのアパルトマンが建ってる場所では、貧乏画家時代の藤田やモジリアニなどが住んでいたそうでもある。
今では高級レストランとなり、店舗入口は、写真右のように垣根の木々で覆われ入りづらい感じである。中を覗くとお客は誰一人としていなくて、ランチタイムからの営業時間なのかな?とも思えたし、ギャルソンの姿も見えないので「君子危うきに近寄らず」と写真のみ撮って、先に進んだ。(笑)
- 「クロズリ・デ・リラ」から500mも行くと、老舗のカフェ「ラ・ロトンド」と「ル・セレクト」とが続く。大通りを挟んで向
かい側には、テラス席を設置していないカフェ・レストランの「ラ・クーポール」と「ル・ドーム」が並んでいる。この四店舗が、ベルエポック時代にボヘミアン建ちの天国であったモンパルナスの四大カフェと称されるようだ。
「ラ・ロトンド」のメニュー表紙には、昔常連だったアーティスト達ちのサインがびっしり印刷されてると聞いていたので、その店でコーヒータイムを取ろうと考えていたが、隣りの「ル・セレクト」を見ると、何やら日本人らしきカメラマンスタッフ数人が可愛いパリジャンヌ二人の写真撮影をしてるではないか。 おそらくファッション関係の雑誌の撮影だったようで、その光景に釣られるように「ル・セレクト」に入った。我々が訪れたのは、火曜日の11:00過ぎだったので、客席は半分くらいが空席であった。
ここの店でも、私達二人はつい「ドゥ、カフェクリーム シルバプレ」とオーダーしてしまった。(笑) ギャルソンがトレイに二人分のセットを乗せテーブルに置くなり、デジカメを取り出して写真を撮り、ついでに店内の風景を撮ろうと2−3回シャッターを押してるとギャルソンの一人が振り向きざまおどけたポーズを取った。自分を写してるのか?という感じで笑っていたのだが、その光景にこちらも笑いを返しただけで、折角のシャッターチャンスを逃してしまった。(笑)
パリでは、大きな公園でも無料公衆トイレなるものはないので、二人して交代で店内のトイレを借りた。やっと一息ついて、カフェオレを飲んでいるとギャルソンがテーブルに近づいてきて清算してくれとチェックを要求してきた。どうもランチタイムに入る準備をしたいらしかったのだが何となく落ち付きが悪かったので、まだ十分にカフェオレを飲みきっていないのにレシートの上にお金を置いて席を立った。 店を出た後、店内の様子を見るとほとんどの客は居座ったままでいる。慌てて勘定を支払って出たのは、我々日本人夫婦だけだったようだ。(笑)
ここのカフェ・オ・レも、レシートはテーブルの上に支払いと一緒の置いてきてるので一杯いくらだったか覚えていないのだが、サンジェルマンの「レ・ドゥ・マゴ」と同じようにタップリ1人前2杯分のコーヒーとミルクが別容器で出された。
- ホテルに帰ってきてから調べてみると、お昼時でもあったのだから向かいのカフェ・レストラン「ラ・クーポール」と「ル・ドーム」2店舗のどちらかにも入ってみるべきだったと悔やまれた。
というのも、「ラ・クーポール」はパリを代表する老舗ブラッスリーとして、インターナショナルな観光客達ちがカキを始めとするエビやカニなどの魚介類を白ワインと一緒に堪能する店としてガイドブックにも紹介されていた(あぁ、ヨダレ;) 店のメニューには、絵でシェフの一人が絵筆でラ・クーポールと字を書いてる様子と共に一文で「ラ・クーポールでは、シェフ達ちもまた芸術家である!」と記されてるそうだ。
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≪後述≫
- 帰国後、今回の報告レポートを作成するに当たり少しだけ調べてみると、パリのカフェの数は全盛時の1980年代からずいぶん減ってきてるそうで、現在に至るまでに1/4に激減してきて1000件強だそうです。 その理由は単純には経営難。 今回訪ね歩いた老舗カフェにおいても、プロコープなどの例に見られるように、経営難で一度は閉店を余儀なくされながらも新しいオーナーによって復活されたりしてるんですね。 昔は本屋や新聞宅配システムが存在しなかった時代ですから、、手作り新聞や同人誌的な雑誌などの読み物を楽しみにした時代のカフェ。また、ガスや電気の配給インフラが十分でなかったときに温かい飲み物を気軽に楽しめた時代のカフェ。 そして≪あの店へ行けば≫親しい仲間や友人とのコミュニケーションがいつも得られるカフェ。。 そんな時代から考えれば、その存在価値は1/4に減少したということでしょうかね。
それでも訪れたパリには、日本に比べるとビックリするくらい街中には多くのカフェがあり、まだまだパリ市民には身近な憩いの場所として親しまれているようです。今回は観光客が多い老舗カフェばかりでしたが、市民に愛されてる憩いのカフェも多いのです。 そんな親しみあるカフェがいつまでもパリ市民との関係を維持して欲しいと願って止みません。
- それと、文中で慣れないギャルソンへの≪支払い≫に関して書いていますが、彼らが早めに支払いを要求したりするのは慣習であるということを後で知りました。(^^汗) 日本の支払いシステムとの違いをよく理解していないと、私達のように忙しない時間を過ごすことになりますのでご注意あれ。(笑)